福島地方裁判所 昭和28年(行)11号 判決 1955年3月22日
原告 生田目幸一
被告 福島労働者災害補償保険審査会
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は、被告が昭和二八年九月二日原告の審査請求に対してした決定を取消す。との判決を求め、その請求の原因として、原告は、昭和二七年八月一日常磐炭鉱株式会社磐城鉱業所磐崎鉱坑内で、脱線した実車の復軌作業々務に従事中、挺子棒が外れて転倒したため左拇指に打撲傷を受けたのでその翌日同会社磐崎病院で診療担当医井上温医師の治療を受けたが、右治療後に左拇指に用を廃する程度の運動障害が残つたので、労働者災害補償保険法施行規則(以下単に規則と略称する)別表第一の第十級の六の障害等級に該当する障害補償費の支給を平労働基準監督署長に求めたが、同署長は右運動障害が業務外に生じたものとして不支給とする決定をした。原告は、右決定に異議があつたので、保険審査官及び被告に順次審査を請求したが、被告は、昭和二八年九月二日右署長の決定を維持し、原告の請求を棄却する旨の決定をした。しかし被告の右審査決定は不当であるから、その取消を求めるため本訴に及んだと述べ被告の答弁事実のうち、原告が負傷した日の翌日すなわち昭和二七年八月二日の井上医師の診断によれば、原告の負傷は単なる左拇指打撲傷であつて、骨折又は脱臼は認められず、同医師は右の打撲傷に対してゼノール湿布、鉛糖水湿布の処置をして患部の腫脹消退を計り、同年九月一日からゼノール湿布を施す傍らマツサージ療法を行つた結果腫脹も著しく軽減したが、同月一六日ころから腫脹が増大したのでマツサージ療法を中止し、その後の症状は固定したので、同年一〇月三一日治ゆの取扱をしたこと、原告主張の左拇指の運動障害が脱臼に起因するものであることはこれを認めるが、同年一〇月三一日原告は、井上医師から「これ以上自分はなおせないから打切れ」と言われたので治療を打切つたのであつて治ゆしたものではない。昭和二八年二月一〇日は原告が平労働基準監督署に行つたところ、レントゲン写真を撮つてくれというので、単に写真を撮つただけで医師の診断は受けていない。原告は前記負傷と同時に左拇指掌指関節を脱臼したものでこの点について昭和二七年八月一〇日ごろ井上医師は脱臼しているかも知れないとの診断をしており、また昭和二八年一月一〇日ごろ原告が労働基準局指定の竹林医師(平市在住)に診断して貰つたところ、脱臼しているといわれた。ところがその後同医師は脱臼は診断違いであると述べたものである。原告が井上医師に三ケ月かゝつているうち同医師が直接診たのは四回だけで、その他は看護婦に任せていたのである。このように同医師は原告の負傷を軽く診断していたので原告は左拇指に用を廃する程度の運動障害が残つてしまつたのであると述べた。
被告は、主文同旨の判決を求め、原告主張事実のうち、原告が昭和二七年八月一日常磐炭鉱株式会社磐城鉱業所磐崎坑内で、脱線した実車の復軌作業々務に従事中、挺子棒が外れて転倒したため、左拇指に打撲傷を受け、その翌日同会社磐崎病院で井上温医師の治療を受けたこと、その後原告が、左拇指に原告主張のような運動障害が残つたので規則別表第一の第十級の六障害等級に該当する障害補償費を平労働基準監督署長に求めたが、同署長は、原告主張の理由で原告主張のような決定をしたこと、原告が右決定に対し異議があるとして保険審査官及び被告に順次審査の請求をし、被告が原告主張の日原告主張のような決定をしたことは、これを認める。しかし、
(一) 原告の負傷した日の翌日すなわち昭和二七年八月二日診療担当医である井上医師の診断によれば、原告の負傷は単なる左拇指打撲傷であつて、骨折または脱臼は認められず、同医師は右の打撲傷に対してゼノール湿布及び鉛糖水湿布の処置をして患部の腫脹消退を計り、同年九月一日からゼノール湿布を施す傍らマツサージ療法を行つた結果、腫脹も著しく軽減したが、同月一六日ころから腫脹が増大したのでマツサージ療法を中止し、その後の症状は固定したので同年一〇月三一日に治ゆの取扱をしたものである。
(二) 労働者災害補償保険法による障害等級認定の資料とした昭和二八年二月一〇日の診定によれば、明らかに左拇指掌指関節の脱臼が認められ、原告の主張する左拇指の運動障害は専らこの脱臼に起因するものである。
(三) 右左拇指掌指関節脱臼が業務上の事由に起因するものとは認められない。すなわち原告が負傷した当時は、前記のとおり原告の左拇指掌指関節が脱臼していなかつたのであり、その後単なる打撲傷の診療過程において専門の外科医が合理的な診療を施したからには関節を過つて脱臼せしめることは考えられないからである。
以上のように、原告主張の運動障害の原因である左拇指の掌指関節の脱臼は、原告主張の業務上の負傷に起因して生じたものではないので、原告の審査請求を棄却した被告の本件決定は相当であると述べた。
(証拠省略)
理由
原告が(一)昭和二七年八月一日常磐炭鉱株式会社磐城鉱業所磐崎炭鉱内で、脱線した実車の復軌作業業務に従事中、挺子棒が外れて転倒したため、左拇指に打撲傷を受け、その翌日同会社磐崎病院で診療担当医井上医師の治療を受けたこと、(二)同医師は右の打撲傷に対してゼノール湿布及び鉛糖水の湿布をして患部の腫脹消退を計り、同年九月一日からゼノール湿布を施す傍らマツサージ療法を行つた結果、腫脹も著しく軽減したが、同月一六日ころから腫脹が増大したのでマツサージ療法を中止し、その後の症状は固定したので、同年一〇月三一日に治ゆの取扱をしたこと、(三)原告主張の運動障害は左拇指掌指関節の脱臼に起因するものであること、(四)原告が、左拇指の右運動障害にもとずき規則別表第一の第十級の六の障害等級に該当する障害補償費の支給を平労働基準監督署長に求めたところ、同署長は、原告主張の理由で原告主張のような決定をしたこと、(五)原告が、右決定に対し異議があるとして、保険審査官及び被告に順次審査の請求をしたところ、被告が、原告主張の日、原告主張のような決定をしたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争がない。
原告は、左拇指に前記打撲傷を受けると同時にその指の掌指関節が脱臼したと主張するが、右事実を認めしめるに足りる証拠は一もなく却て乙第一号証の一、第二号証を総合すると、原告が前記打撲傷を受けた日の翌日である昭和二七年八月二日には原告の左拇指掌指関節に脱臼及び骨折がなく、単に左拇指打撲傷を負つていたに過ぎないことが認められるので、原告の右主張は到底これを採用することができない。
次に原告は前記打撲傷につきその治療の不適正のため左拇指に用を廃する程度の運動障害が残つたかのように主張するから、この点を判断するに、原告の右運動障害は、原告の左拇指掌指関節の脱臼に起因するものであること、しかし、右脱臼が原告の前記打撲傷を受けた日の翌日の初診時にはなかつたことはさきに認定したとおりである。よつて右の脱臼と原告の前記打撲傷の治療方法との間に因果関係があるかどうかを検討すると、原告の前記打撲傷の担当医井上医師は、右の打撲傷に対しゼノール湿布及び鉛糖水湿布の処置をして患部の腫脹消退を計り、昭和二七年九月一日からゼノール湿布を施す傍らマツサージ療法を行つた結果、腫脹も著しく軽減したが同月一六日ころから腫脹が増大したので、マツサージ療法を中止しその後の症状は固定したので、同月一〇月三一日に治ゆの取扱をしたことは冒頭掲記(二)のとおりである。更に乙第一号証の二、乙第二号証、証人生駒行康の証言を総合すると、原告の左拇指掌指関節の脱臼は、昭和二八年二月一〇日撮影した原告の左手部レントゲン写真によつて初めて発見されたのであるが、右脱臼は、原告の前記打撲傷に対する治療方法すなわち、マツサージ、湿布、繃帯などによつては前記治ゆの経過からみて起り得るものではなく、その原因は不明であるが、右治療以外の何らかの事故にもとずくものであることが明らかであるから、前記治療方法と右脱臼との間に因果関係があるものとは認めがたく、原告の右の主張もまたこれを採用することができない。
以上のとおりであつて、原告の前記運動障害は、到底業務上の事由によつて生じたものであると認めることはできない。
そうすると原告の前記障害が事務上のものであることにもとずき原告が規則別表第一の第十級の六の障害等級に該当する障害補償費の支給を求めたことに対し、これを業務外のものとして不支給と決定した平市労働基準監督署長の決定を維持し、原告の請求を棄却した被告の本件決定には何ら違法の点がないものといわなければならない。
よつて原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 斎藤規矩三)